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工芸とファインアート


先週のつづき... とりとめのない考察です。

繰り返すが、これは現代における工芸とは何か、芸術とは何か、手仕事、手工業とは何か、という問いへの個人的なアプローチの段階的過程である。

「工芸」に焦点を当てると、木工、彫金、竹細工、漆芸、陶芸、染織など素材と用途によって細分化される。そしてその各領域でピラミッド状の階層が(存在している)。存在している、はずなのだが、そこが今、とても曖昧になってしまっていないだろうか。

工芸と対比される「ファインアート」(純粋芸術)は、近代以前の日本には確立されていなかった。つまり、西洋芸術と出会うまで、実用から切り離し作者個人の芸術性、創造性を追求するという発想はあまりなかったということだろう。

しかし逆に、実用というある枠、制約の中に込める芸術性を追求してきたとも言えるのではないか。着物ひとつ取ってみても、着物自体の染織技術だけでなく、帯、半襟、帯揚、帯締めなどひとつひとつの芸術性はとても高い。それは、工程ごとに細かく分業化して専門性と技術を高めた何人もの職人が最終的にひとつのものを作り上げる、その結果である。

ものづくりにおいて、作り手のピラミッドの裾野の大きさは、それを使う人で決まる。使う人がたくさんいれば、作り手も多く生まれ、さまざまな要望が生まれて、それを作る人との需要と供給の活発な連鎖、作り手による切磋琢磨が生じた結果、知識と経験と技を併せ持つ者が頂点に立ち、そこを目指す作り手との健全なる階層ができて、自然とそのモノも熟成されていく。のだと思う。

現代の社会において、果たしてこの健全なる作り手のピラミッドは存在しているだろうか。という問いに対しては、分野によって応でも否でもあり、イコール需要の有無になるのだろう。

(つづく)

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